トランジスタグラマーという言葉を聞くと、なつかしい思い出がよみがえります。
小生の筆下しのお相手が、まさにトランジスタグラマーさんでした。
24歳のときでした。東京の学生でしたが、彼女いない歴も同じく24年、早く童貞を捨てたくて、悶々とした日々を送っておりました。
童貞を捨てたいというより、一刻も早く女体を知りたかったのでしょう。
武者小路実篤じゃないですが、マジ、
女に餓えていました。
現状打開のためまずはじめにしたことは、風俗情報誌の購入(苦笑)。
東京三世社の「シティプレス」と司書房の「特選あそび専門街」の二誌です。
目的はもちろんソープランド。しかも、若くてスタイルがよくてかわいい子。
地域で探すのでなく、女の子メインで探しました。
条件に合う子なら、遠出も厭わないというスタンスでした。
如何せん、これはという子は、なかなかおりません。
若いかなと思うと胸がない。もしくは不細工。
当時はパソコンなんてありませんから、雑誌だけが頼りです。
何冊も見ていくうち、吉原の姫よりも、岐阜の金津園のほうが、レベルが高いように思いました。
最終的に絞られたのが、金津園は恵里亜の看板娘、チャコちゃんという姫でした。
プレイ代は総額45,000円だったと記憶しています。
(90分。入浴料15,000円にサービス料30,000円)
チャコちゃんは21歳で、身長は150㌢ちょっと。
痩せているのにバストはFカップというナイスなプロポーションでした。
まさにトランジスタグラマーの典型だったのです。
金津園は札幌のススキノと同様、女の子が18歳からソープで働けるという条例のため、ハイティーンの姫が多いとまことしやかに語られておりました(ホントにそんな条例があるかどうかを確かめたわけではありません。とにかく記事でよく目にするのです。未成年に売春行為を許可する条例というのもスゴい話ではあります)。
当時、金津園でアイドル的人気を誇っていた姫に、英國屋の南野陽子がいます。
なんのファンだった小生でしたが、どうした訳か、南野陽子には惹かれませんでした。無理やり感が鼻についたのかもしれません。
チャコちゃんは、その後人気に火がついて、「夜遊び探検隊」(メディアックス)の創刊号の表紙を飾るほどに成長します。
小生は都合三回、チャコちゃんに会いに行きました。
一回の遠征でソープ代が45,000円、それから岐阜までの運賃、プレゼント代金、午前中しか予約が取れなかったときは前日から現地入りしてビジネスホテルに一泊したこともあります。ろくにバイトもしなかったので、日本育英会の奨学金から遊ぶ金を捻出しておりました。今にして思えばトンデモナイ学生だったなあ。
一種の恋愛感情もあったのかもしれません。
惚れやすいんですね。そして冷めやすい(苦笑)。
最初は結婚するくらいの勢いだったのが、三回目にはもう勃ちが悪くなってました(苦笑)。
体は正直。たった三回目にして飽きてしまったらしいんです。
それから二十年経って、まさか再びチャコちゃんをこの目に見る機会がおとずれようとは……。
或る熟女雑誌でした。タイトルも覚えてないほどマイナーなもの。たまたま資料として誰かが購入して、職場の編集部に置いてあったのです。書店売りのB5サイズの土方本(どかたぼん)です。
チャコちゃんが、熟女になったチャコちゃんが、男と絡んでいました。
こんな歳まで、まだ裸の仕事してたんだ。
かくいう小生も(顔モザではありますが)人様に裸を晒す仕事に就いている……。
人のことを嗤える立場ではありません。
バタ臭い顔はそのままに、Fカップのオッパイも健在で、しかし光のない瞳のチャコちゃんがそこにいました。
年齢47歳と記載されています。
小生より三つ年下だった筈のチャコちゃんが、二十年後には、三つ年上になっているのです。
一体どっちが正しいのか。
あるいはどっちもウソなのか。
真相は分かりませんが、たぶん、47歳が正解のような気がしたのです。
恵里亜のときの21歳という年齢はサバ読んでいたものでしょう。六つサバ読みの27歳だったわけです。
六つサバ読みはソープなら平均値ではないでしょうか。
ちなみに、吉原で28歳というと40越えらしいですが(笑)。
チャコちゃん、今なにをしているのでしょう?
マットの騎乗位でアッという間の童貞喪失。
はじめてのセックスが生中出し。
尿道炎を感染されて泌尿器科通い。
それでもチャコちゃんは小生の原点なんです。
▲「
夫に内緒で… 新妻 超最高級ソープ嬢生中出し」桃太郎映像出版(2013年3月発売)。チャコのスリム&グラマーなボディを彷彿とさせるみなせ優夏嬢。おススメです。
▲「
SOAP LASHカリスマ美人店員 本物の泡職人が泡姫へ転身」桃太郎映像出版(2014年3月発売)。同じくおススメなのが鳥井美希嬢。この子が相手なら総額10万でも安い!